Barbershop Quartet
White Christmas
Lyrics & Music by Irving Berlin
arr.by Tom Gentry
“White Christmas/ホワイト・クリスマス”は1940年にアービング・バーリン(Irving Berlin)が書き、1942年にビング・クロスビーが映画『スィング・ホテル(Holiday Inn)』でマジョリー・レイノルズ(Majorie Reynolds)とデュエットしてヒットした名曲です。1954年にビング・クロスビー、ダニー・ケイ(Danny Kaye)主演で映画『ホワイト・クリスマス』としてリメイクされ、主題曲“ホワイト・クリスマス” も再び大ヒットして、代表的なクリスマスソングとなりました。ビング・クロスビーをはじめ、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)など数多くのアーチストによってレコーディングされています。
本来この歌には長いヴァース(前歌)がついていて、そこでは輝く太陽の日差しを浴びてオレンジの木や椰子の木が風にそよいでいる情景が歌われています。普通はこの部分は省略されるので、たいていの人は降り積もる雪のクリスマスをイメージしながらこの歌を聴いていると思いますが、もともとは「雪のない暖かいロサンジェルスのビバリーヒルズにいて、雪の降り積もるクリスマスを夢見る」という内容になっています。
作曲者アービング・バーリンは1888年5月11日ロシアのチュメニ(もしくはベラルーシのモギレス)生まれのユダヤ系ロシア人。1889年に両親と7人の兄姉とニュー・ヨーク市マンハッタンのロウア・イースト・サイドに移住。1896年父親が死亡後いろいろな職種を経験したあとニュー・ヨークのバウリー地区(Bowery Distric)の安酒場の流しとなって歌い始め、やがて音楽出版社の専属となりました。
レコードやCDの無かった時代、ヒット曲は楽譜(sheet music)の形で現れました。音楽出版社は作詞作曲のできる者を雇って楽曲を作らせ、ミュージック・ホールで実際に歌手に歌わせて楽譜を売っていました。19世紀後半から20世紀前半のアメリカではニューヨークの14番街から28番街の通称ティン・パン・アリーに音楽出版社が集中し,この時代のアメリカのポピュラー音楽の象徴的な存在となっていました。
音楽出版社に雇われたといっても生活は苦しく、アービングはチャイナタウンのカフェで「歌うウエイター」(歌ったりウエイタ-をしたり皿洗いをする仕事)として働きながら、一方でせっせと作曲をして出版社に売り込むという日々を続けました。1910年代になるとアービングの才能に目をつけた音楽出版社から作詞作曲の仕事の依頼が舞い込むようになり、やがてティン・パン・アリーを代表する作曲家となりました。
ちなみにアービングは長命で、1989年9月22日に101歳で亡くなりました。
White Christmas
The sun is shining, the grass is green,
The orange and palm trees sway.
There's never been such a day in Beverly Hills, L. A.
But it's December the twentyfourth,
And I am longing to be up North.
I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten
and children listen
To hear sleigh bells in the snow
I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white
太陽は輝き芝生は青々として
オレンジや椰子の木も揺れている
今までにビバリーヒルズにはないほどの素敵な日だ
だけど今日は12月24日
できるなら私は北の方へ行きたい・・・
私はホワイト・クリスマスを夢見る
私が昔経験した銀世界のクリスマスを
木のてっぺんがきらきら輝いて
子供たちが耳を澄ませて
雪の中でそりの鈴の音を聞く
私はホワイト・クリスマスを夢見る
1枚1枚クリスマスカードを書きながら
あなたが楽しく明るく過ごせますように
あなたのクリスマスが銀世界でありますように